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118 :名無しさん@えむちゃん:2009/11/21(土) 17:47:32 ID:???
富樫 政親(とがし まさちか、1455年(康正元年)? - 1488年7月17日(長享2年6月9日))は、室町時代後期の加賀の守護大名。
1458年(長禄2年)、赤松政則によって加賀北部が奪われたため、家臣団に擁されてその奪回に尽力した。
家督をめぐって弟と争う羽目となり、1473年(文明5年)に敗れて加賀を追われた。
しかし本願寺などの援助、加賀国内における武士団の支持を得て幸千代を加賀から追い出し、再び家督の座に就いた。
ところが、この奪回において本願寺門徒の実力の恐ろしさを知った政親は、
次第に本願寺とそれに繋がる豪族の勢力を統率しようと企てた。
このため、本願寺と豪族勢力が互いに結びついて1488年(長享2年)、
石川郡高尾城に政親を攻め殺害された(加賀一向一揆)。富樫氏の家督は従兄弟の稙泰が継いだ。

119 :名無しさん@えむちゃん:2009/11/21(土) 17:49:42 ID:???
富樫 幸千代(とがし こうちよ、寛正元年(1460年)? - 没年不詳)は富樫家第13代当主(高家の代から数えての数)。富樫成春の次男。
1473年(文明5年)、応仁の乱の影響で兄・富樫政親と争い、勝利した。しかし翌年、本願寺一向一揆と結んだ政親に加賀から追放された。
これ以降、一向一揆と結び再三政親領に侵入しては戦った。
元服したかも定かでなく、後年は何をしていたのか詳細は不明であり研究中である。
1476年(文明8年)9月には加賀半国を与えられたというが、1474年(文明6年)に一向一揆勢に攻められ敗死したとの説もある。

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